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私の釣りの原点。
いつ頃なのかなあ・・・・
結構子供の時だったとは思う。
父親に連れられて瀬戸市品野町の奥にある川で
のべ竿持ってエサ釣りしてたのが最初の記憶。
オイカワとかアブラハヤとかね。
ウグイなんか釣れたら大喜びだったな(笑)
あとは釣り堀のニジマス。
エリアじゃなくって本当の釣り堀な。
イクラ付けた竹竿で、釣ったらお買上げってやつ。
調子こいて釣りまくったら、帰宅後にオトンがオカンに怒られてたな。
あの時は済まんかった、オトンwww
その場で調理してもらって食べる塩焼きやフライがこの上なく美味で大好きでした。
ちょっと前後関係は忘れたけどそんなのが初めて触れた魚釣りだったと思う。
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でもまあ、それだけでは恐らくそこまで釣りに魅了されることはなかったんじゃないかな、と思います。
そういった釣りがガソリンならそれに発火するスパークプラグのような存在があった。
当時の純真無垢な少年makoの心に釣りの魅力をグリグリと刻み込んでくれたもの。
刻み込むだけでは飽き足らず、ご丁寧にニス塗ってトップコートまでしてくれたもの。
それは昭和48年から10年間、少年マガジンの看板作品だった釣り漫画・・・・
もはや説明は不要ですわな。
釣り◯チ三平
色々とめんどくせえ世の中だから伏せ字にしますが
釣り漫画の金字塔であることに異論はなかろ?
少年達に与えた影響力という観点でこの作品に比肩するものはそう多くはないんじゃないでしょうか。
オサーンな皆さんなら激しく同意してくれると思います(笑)
ミッチェルのスピニングリールが付いたGarciaの2585Dやアンバサダー5000Cに憧れ、
巨大なイトウが君臨する釧路湿原やタキタロウの潜むO池に思いを馳せる。
一平じいちゃんが亡くなったエピソードでは
作者の矢口氏に抗議の手紙を書こうかと本気で考えたものです。
ラジコンボートの釣りを真似してみたくてプラモのボートを水没させた苦い思い出も(笑)
少年漫画ではありましたが魚の生態や行動などの生物学的な記述は本格的で、
繰り返し読むだけで釣りに必要な知識が自然と身についていきましたね。
それは今も釣りに関する知識のベースになっていたりします。
言わば三平氏が私の師匠(笑)
これが私の釣りの原点と言っても良いでしょう。
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そしてもう一つ忘れられない思い出。
運命の出会いってやつ?www
当時、足助とかの山奥に渓流の食事処みたいなのがあちこちにあってね。
わかるかな?
河原に櫓(やぐら)みたいに座敷が組んであって
渓流を眺めながら魚料理とかを楽しむような所。
今はあんまり見かけないけどね。
仲の良かった家族とよく出掛けたものです。
そこでは大人は座敷で飲んだくれ(運転手以外な!)
子供は川遊び。
虫エサで小魚釣ったり泳いだりで楽しかったねえ(笑)
で、ある日いつものように河原を駆け回ってる時のこと。
遊びに夢中になった我々は、川沿いを食事処から少し離れた所まできていました。
ちょっと離れるだけで周りは人の気配もない大自然そのもの。
聞こえるのは川の流れる音だけの、薄暗いロケーションです。
何となく心細さを感じ始めたそんな場所で、大きな岩陰から突然音もなく現れた一人のオッサン。
ちびりそうになりましたwww
厳つい偏光グラスにウェストハイのウェーダー、フィッシングベスト。手にはスピニングロッド。
そして何より印象的だったのは腰のストリンガー。
そこには鈴なりにぶら下がるたくさんのトラウトが・・・・
それは何とも誇らしげな感じでした。
「これがルアー釣り師っすか・・・・」
その只ならぬ威容にはただただ圧倒。
否応なく漂うプロフェッショナルなオーラは多感な男の子をノックアウトするに
十分なカッコよさを纏っておりました。
その釣り師は怖そうな見た目とは裏腹な人柄で
「子供だけで奥へ行ったら危ないよー」と優しく諌めて下さり、颯爽と山奥へ消えていきました。
少年の心に30数年たっても今なお消えない鮮烈な記憶だけを残して・・・・
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いまふと思いましたが、私は今もこの釣り師のようになりたいのかもしれませんね。
いやジャンルは違うんだけど、少年が憧れるようなカッコいいアングラーに。
多分、今はその方と同じ年代になっていると思います。
当時の少年makoに聞いてみたい。
「あの時憧れたあの人に比べて今の私はどうだい?」
ああ、耳をすませば答える声が聞こえるような気がしますね。
少年mako:
「釣り場で頻尿ガーとか、老眼ガーとか、ち◯こガーとか言ってる大人にだけはなりたくねえんだがwww」
・・・・カッコよく歳を取るって難しいね(泣)
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